ルネサンス


近代に入るまでは、アリストテレスの世界観にしたがったプトレマイオス(200中頃)の天動説が信じられてきた。しかし精密な観測がなされていくにしたがって天動説モデルは複雑極まりないものになっていった。コペルニクス(1473-1543)は地動説を説いた。しかしコペルニクスはまだ、プラトン・アリストテレス以来の「常識」であった「天体の完全な円運動」にとらわれていた。

デンマーク王室付きの占星術師であったティコ・ブラーエ( 1546-1601)は、望遠鏡なしに行い得る最高のものといわれる精密なデータを集めた。彼の残した大量で精密なデータを、統計的に精度をよく吟味して、その中でも信頼の置けるデータを用いて天体の運動の法則を数学によって定式化しようと試みたのがケプラー(1571-1630)である。

ケプラーは地動説の正しさを直観してはいたが、惑星の軌道を「完全な円」と考えたならばティコの観測データをうまく説明できないことにも気付いていた。そして、当時から問題になっていた火星の運動が、さまざまな試行錯誤の末に、その軌道が太陽を焦点とする楕円であればうまく説明できるという結論に達し、それを他の惑星にも適用して「ケプラーの三法則」の発見に至ったのである。

ガリレオは、木星の衛星や土星の輪をはじめて発見したことでも有名だが、ガリレオの科学史における最大の貢献は、「落体の法則」の発見であった。有名なピサの斜塔の実験は落体の法則を証明するためのものであった。私たちにはコロソブスの卵のように見える、ピサの斜塔の実験は、物体の運動が、単純な法則に従わたければたらないという確信と、この運動が時間と距離によって考えることができるという思想をふくんでいる。


私たちは近代という時代がそれまでの時代に較べて複雑な時代であると考えやすいが、それは一面的な真理にすぎない。むしろ、近代は世界の原理をより単純なものに求めようとした時代である。秩序ある世界がギリシア哲学の出発点にみられた思想であり、その秩序が数学をつうじて表現される。これはピタゴラス・プラトンの思想にほかならない。世界を実証的に説明しようとするアリストテレス主義にたいして、世界の秩序を数学のうちに見ようとする近代の科学思想はプラトン主義の末蕎なのだ。

ガリレオの「落体の法則」は、後にニュートンの「万有引力の法則」によって、天体の運動の法則と結合され、この世界の根本原理は唯一の数学的に表現できる物理法則によって表されることになった。ピサの斜塔から落下した鉄球は、その運動が時間と距離によって表される単純な現象とみなされるようになったのである。